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第2回 2000年12月14日


   偉大な石の顔(第2回)

 「ねえ、お母さん、お母さん!」アアネストは、頭の上へ両手を差上げて叩きながら、叫んだ。「僕、一生のうちに是非そういう人に出逢いたいものだと心の底から思いますね!」
 母親は愛情の深い、且つ考え深い婦人で、可愛い子供の高尚な希望(のぞみ)の腰を折らないのが、最も賢明だと感じたから、ただこう子供に云った。「ひょっとしたら逢えましょうよ。」
 かくて、アアネストは母から聞いたその物語を決して忘れなかった。偉大な石の顔を眺める時は、いつも、その話を思い浮べていた。彼は子供の時代を、生れた丸太小屋で暮らした。母に孝行で、何かと、よく母の役に立ち、小さい手で随分と母の手助けをしたが、彼の優しい心はもっと母を助けた。こう云う風にして、幸福な、しかし、折々考えに耽る子供から段々と成長して、柔和で、物静かな、出しゃばらない少年となった。野良で働くので、日に焼けてはいたが、有名な学校で教育を受けた多くの青年に見られるより、もっと優れた才智に輝く聰明な顔をしていた。とは云え、アアネストは先生と云うものを持っていなかった。ただ、かの偉大な石の顔が彼にとっては先生であったと云うだけであった。昼間の労働が終ると、彼は何時間でも、石の顔をじっと眺めているのが習慣だった。とうとう、しまいには、あの大きな目鼻立ちが彼を見覚え、彼自信の敬虔な注視に答えて、親切と激励の微笑を送ってくれるのだと想像するようになった。もともと、此の石の顔がアアネストに対し、特別に親切な眼なざしを投げたというわけではなく、他の世間一般の人々に対すると同様、アアネストに対しても、全く無関心であったのかも知れないのだが、しかし、此のアアネストの想像が一概に間違っているなどと敢えて断定してしまってはならない。実のところ、此の少年のやさしい、信頼して露疑わぬ素朴な性格が、一般の人々の見ることの出来ないところを見分けたという点が秘訣なのである。かくて遍く万人のためにと意図されている愛が、ただ独り此の少年に取ってのみ独特の分前となったのだ。
 丁度この頃、その盆地に一つの噂が拡まった。それは遠い大昔から長い間、云い伝えられていた例の偉大な石の顔に生き写しの大人物が、遂に出現したということであった。うすうす聴くところでは、何年も何年も前のこと、一人の青年が、その盆地から他所(よそ)へ移住して行って、とある遠い港町に落ちつき、そこで小金を貯めたあと、商売を始めたと云うことであった。彼の名は____本名なのか、それとも彼の世渡りの仕方や出世振りから生れた綽名(あだな)なのかどうか知らないが__ギャザゴゥルド(金尾溜也)と云った。抜目がなくて、活動的で、世間のいわゆる幸運と云うものに発展して行く不思議な才能を神様から授っていたので、彼は大金持の商人になって、一船隊とも云うほど沢山の巨船を所有する身分になった。地球上のあらゆる国々が、このたった一人の男の山なす富を上(うわ)が上(うえ)へと積みあげて行くという、単にそれだけの目的のために、皆んな挙って手に手をつなぎ合せているかのようだった。殆ど北極圏内の陰鬱と暗影の中にある北方の寒い地方は、毛皮と云う形で捧物を彼に送って来たし、熱いアフリカは彼のために河の砂金を篩い分けてくれたり、森の中から巨象の牙を集めてくれた。東方諸国は高価な肩掛や香料や、茶や、光り輝くダイヤモンドや、まばゆいばかり清淨無垢な大きい真珠などを持って来た。大洋も亦、大地に劣らじとばかり、大きな鯨を彼に捧げると、ギャザゴゥルド氏はその油を売って大儲けが出来るのだった。原品は何であろうとも、彼の手の中では黄金になった。かの寓話のマイダスの話にあるように、彼の指が触れると何でも彼でも、忽ち、きらきら輝いて黄色くなり、直ちに純金に変った。否、もっとよく彼に当てはまるように云うと、貨幣の山に変った。と、こう云ってもよかろう。そしてギャザゴゥルド氏が彼の財宝を鑑定するだけでも、百年は掛かるだろうと云うほどの大金持になった時に、生れ故郷の盆地のことを思い出し、そこへ帰って行って、生れた土地で余生を終ろうと決心した。この目論見に従って、彼ほどの大金持が住むのに適(ふさ)わしい宮殿を建てさせようと、熟練した建築技師を派遣した。
 上に述べて置いた通り、既に噂がこの盆地に拡まっていて、ギャザゴゥルド氏こそ、随分と長いこと無駄に待ち望まれていた、あの予言の人物だと云うことがわかり、その顔付はかの偉大な石の顔そっくりの生き写しで、議論の余地なしということになっていた。彼の父が、もと住んでいて、今は雨風に晒らされ、荒れ果てた古い百姓家の屋敷跡に、恰(まる)で魔法で建てたような、立派な建物を人々が見るに及んで、この噂はどうしたって本当に相違ないと、愈々熱烈にそれを信じて行った。建物の外部は大理石造りで、まぶしい程に真白であった。その白さと云ったら、ギャザゴゥルド氏がその指で触れるもの皆金に変るという力を、まだ賦与されていなかった遊び盛りの時代に、よく建てて遊んでいた粗末な雪のお家(うち)のように、日光に当ったら解けてしまうのではないかと思われるほどであった。先ず高い柱で支えられ、豪奢に装飾された車寄せがついている。玄関の入口には、丈の高い扉がある。銀の飾鋲が打附けてあり、海の彼方(かなた)から運んで来た、様々な色合いの出る特殊な木材で作られていた。窓という窓は、皆壮麗な部屋部屋の床から天井までそれぞれただ一枚の大きなガラス板で出来ていた。そのガラスの透き通った清らかさは、塵一つない澄み切った大気を通して見るよりも、更にずっと純粋なものだったといわれていた。この御殿の内部は、殆ど誰も見ることを許されていなかった。が、噂によると、而もその噂は相当本当らしかったが、外部よりは遥かに華麗なもので、普通の家屋で鉄や真鍮を使用するところは何でも彼でも、この御殿では金や銀が使ってあったと云う程であった。猶ギャザゴゥルド氏の寝室と云えば、特に燦然と輝き渡り、普通の人間なら到底(とても)そこでは眼をつぶれなかっただろうと云われていた。ところが、一方、ギャザゴゥルド氏と来たら、今や富に慣れ過ぎていたので、富の輝きが彼の眼瞼(まぶた)の下へ確実に射し込んで来るところでなくては、多分眼をつぶれなかったのだろうと云うことでもあった。

(つづきは: 第3回 2000年12月15日


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