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第3回 2000年12月15日

  偉大な石の顔(第3回)

 滞りなく、館(やかた)は出来上った。次には家具屋が立派な家具を持込んで来た。それから白人や黒人の召使の全一隊がぞろぞろとやって来た。これはギャザゴゥルド氏の先触れで、氏は威容堂々と親しく夕方御尊体を運んで、そこに到着の手筈であった。話変って、我等の友アアネストは、かの予言の人物が、偉大な人が、高貴な御方が、時うつり星かわれども、中々来なかったのに、今度こそ遂に彼の生れ故郷の盆地に出現することになったと思って、深く心を掻き立てられていた。彼は、ギャザゴゥルド氏が莫大な彼の富を以て、慈悲の天使と化し、かの偉大な石の顔の微笑の如くに、広大無辺にして慈愛溢るゝ支配力を人事万般に及ぼすことの出来る幾多の方法のあることを子供ながらにも知っていた。信仰と希望に満ちていたので、アアネストは人々の云うことが本当であり、あの山腹の不思議な目鼻立ちの生きた写し絵が、今こそ見られるのだということを疑わなかった。少年が猶も谷の上を見上げて、偉大な石の顔が彼を眺め返し、親切なまなざしを彼に投げていてくれると、いつものように想像しているところへ、丁度、車輪の軋る響が聴こえてきて、曲りくねった道を大急ぎで近づいて来た。
 「さあ来た!」その到着を見んものと集っていた一群の人々が叫んだ。「ほら、偉大なギャザゴゥルド氏が来たぞ!」
 四頭立の馬車が、道の角をぐるりと曲って、突進して来た。馬車の中には、窓から少し顔を突き出した小作りな老人の御面相が見えた。皮膚は、まるで自分自身のマイダスの手で黄金に変えたのかと思えるほど黄色であった。額は狭く、小さな鋭い眼には、そのまわりに数知れぬ小皺が寄っていた。それから、非常に薄い唇は、それを又無理に固く喰いしばっているため、一層薄くしているのであった。
「偉大な石の顔の生写し!」人々は叫んだ。「果たして昔の予言は本当だった。とうとう偉人が我々のところにやって来た!」
 かねて噂のあったその生き写しが、ここにやって来たと、現実に人々が信じているように思われたので、アアネストは非常に当惑した。路傍に偶然にも一人のお婆さんの乞食と二人の小さい子供の乞食とがいた。どこか遠い所からさすらって来た者で、馬車が進んで来た時、手を差し出し、悲しげな声を振りしぼり、いとも哀れっぽく、お恵みを乞うていた。黄色な見苦しい手__あれほど莫大な富を掻き集めた、その同じ手__が馬車の窓から、ぬっと突き出て、地べたへ幾つかの銅貨を落してやった。だから、この偉人の名はギャザゴゥルドと云われていたらしかったけれども、彼はスキャタコパ(銅貨撒夫)と綽名されても、まさに似つかわしかったのであろう。それでも猶、人々は、今まで通りの信仰を弱めた様子もなく、熱心な叫び声を張り挙げて怒鳴っていた__
 「あの人こそ、偉大な石の顔の写し絵だ!」
 けれどもアアネストは、その下卑た顔の皺苦茶な悪ずるさから、悲しげに眼を外(そ)らして、谷の彼方をじっと見上げた。そこには沈み終らんとする太陽の光を浴びて、黄金色に染め出された、栄光輝く顔形を、次第に濃くなり行く濛気の中にも、まだ判っきりと見分けることが出来た。その顔こそ、彼の魂に是迄ずっと深くも刻み込まれているものだった。その表情は彼を元気付けた。その慈悲深い唇は何を云うように思われたろうか?
 「彼は来る!心配するな、アアネストよ。その人物は来る!」
 歳月は過ぎ去って、アアネストは、もはや少年ではなくなった。成長して今や一個の青年となっていた。彼はこの盆地の住民達から殆ど注意を引かなかった。それもその筈で、彼の生活ぶりには、人目に立つようなものは別に何にもなかったからだ。ただその日の労働が終ると、やはり今でも、人々から離れて、偉大な石の顔を眺め、沈思黙考するのが好きであったと云うことだけが、他の人々とは違っていたのであった。その事に関して、世間の人達の考では、それは馬鹿げたことだが、しかし、まあ、別に咎めるにも及ぶまい。アアネストは勤勉で、親切で、近所ずきあいもよく、此の他愛もない習慣に耽る為めに義務を怠ると云うわけでもないのだから、と云うのだった。人々は、かの偉大な石の顔が彼に取っては教師となって居たことや、その石の顔の中に表現されていた情操が、この青年の胸を広くして、普通の人間の心にあるものよりも、ずっと寛い深い同情で、彼の心を一杯にしていたのだということなどは、知る由もなかった。書籍で教えられるよりも、ずっと良い智慧がその石の顔から得られ、他の人間の生涯の汚れた実例を手本にしたよりも、ずっとよい生涯がそこから形作られるのだなどとは世人は、露知らなかったのである。アアネストの方でも亦、野良や炉辺やその外、彼が沈思黙考する如何なるところでも、いと
も自然に彼に湧き起る思想や慈愛というものは、総べての人間が皆一様に持ち合せているところのものよりは、ずっと高い調子のものであったことを知らなかった。純朴な魂__彼の母が最初、彼に古い予言を教えた時と少しも変らず、単純素朴な魂__の持主であった彼は微笑(ほほえ)みながら谷を見下している、あの不思議な顔形を見ては、あの顔の生き写しの人物が、どうして、そんなに久しく出現しないのかしらと、猶も訝るばかりであった。
 その頃には、もう哀れなギャザゴゥルド氏は死んでしまって、墓場に収まっていた。而も、不思議千万にも、彼の存在の肉体であり精神でもあったところの彼の富は、彼の死ぬ前既に消え失せてしまって、彼の身に残るものとては、皺苦茶の黄色い皮膚で被われた生ける骸骨ばかりであったのである。彼の黄金が溶け去ってからと云うもの、この零落した商人の下卑た目鼻立ちと、山腹の威儀堂々たる顔との間には、結局、そんなに著しい類似なんか無かったんだと云うことが広く一般に認識されていた。そこで、人々は、まだ彼の生存中から、彼を尊敬するのを止めてしまったし、彼の死後はいつとはなく忘れ果ててしまった。尤も、たまには、彼が建築した壮麗な御殿に関連して、故人の名が思い浮べられることはあった。その御殿も、ずっと以前からホテルに変っていて、他の地方から来る沢山の人々を泊めていた。その客の多くは、夏毎に、あの有名な自然の驚異、偉大な石の顔を見物にやって来たのだった。かくして、ギャザゴゥルド氏は評判を落して、見る影もなくなったので、予言の人物はまだ出現しなかったわけであった。

(つづきは: 第4回 2000年12月16日


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