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2001年1月2日:本田宗一郎物語(第13回)

  本田宗一郎物語(第13回)

 朝方、たたきつけるように落ちた雨も上がり、快晴となった。中天にかかった太陽にじらじらと照らされ、雨の残した湿気が不快な蒸気となって立ちのぼる。風はなく、気温も湿度もぐんぐんと上昇した。工場は耐え難いほどの蒸し暑さである。宗一郎の額から吹き出した汗が頬を伝い、顎からぽたぽたとしたたり落ちた。他の工員たちも汗みずくで、蒸し風呂のなかにいるような暑さをしきりに嘆いていた。
「もうおひるか……」
 汗を拭い、掛け時計を見て宗一郎がつぶやく。そのとき、ぐらりと地面が揺れた。
「あ。旦那さん、地震ですよ」
「気にするな。このくらいじゃ大したことはない」
 榊原が言い終わらないうちに、ずん、と下から突き上げるような揺れが来た。
「わああっ!」
「ひいいいいいッ!」
 短い間隔で地面が幾度も持ち上がっては落ちる。そこに激しい横揺れが加わり、工場にいた全員が悲鳴をあげながら横倒しに倒れた。ガラスというガラスがいちどきに割れ、棚に置かれた工具や部品がざざざあっと雨になって降り注ぐ。梁が斜めに落ち、宗一郎の見ていた掛け時計を粉々に打ち砕いた。口を開けば舌を噛みそうで、ただ叫ぶばかりで誰も言葉を発せない。もうもうたる塵埃で、視界もたちまち濁った。
 大正12(1923)年9月1日午前11時58分、関東大震災発生。揺れはほどなく収まったものの、それに倍する恐怖が、東京の街を、人々のいのちを飲み込んでいった。火災である。各地で発生した火事はまたたく間に燃え広がり、倒壊した家屋をなめつくして、赤く分厚い舌を伸ばしていった。炎にあおられた空気は熱風となり、通り道にいるものを殴り倒すように新たな火災を起こす。地震発生の時間帯が最悪の結果を招いた。火事の原因の多くが、家庭で使われていた炊事のための火だったのである。
 東京、千葉、神奈川を中心に、死者約9万9千人、行方不明者4万3千人。三日間燃え続けた大火災は、東京の東半分を焼き尽くしてようやく鎮火した。
 まさに未曾有の大災害であった。火の通ったあとには、見渡す限りの廃墟と、肉の焼ける不快な臭いだけが残っていた。地面は熱く、まだそこかしこから細い煙が立ち昇っていた。
 宗一郎たちの働くアート商会も灰燼と帰した。古びたサイドカーと自動車一台の他には何ひとつ残らなかった。貴重品や工具を積んだ自動車を各所に向けて走らせたものの、逃げまどう人々の波にはばまれて、途中で置き去りにするしかなかったのである。
 榊原や工員たちが、焼け跡にぽつりぽつりと集まってきた。そのなかには、顔を煤で黒くした宗一郎の顔もあった。死傷者が出なかったのは不幸中の幸いだったが、誰も彼も疲れ果て、それを口にするゆとりもない。集まってはみたものの、寝場所すらないありさまで、結局、宗一郎と北沢、榊原一家を除く全員が、着の身着のままで帰省することになった。アート商会は、いや、東京は、文字通り一から出直しとなったのである。

 焼け出された榊原一家と宗一郎たちは、神田駅近くのガード下に移り住んだ。臨時の看板を立て、工場らしいこしらえはしてみたものの、震災の直後に客などいようはずがない。幸い、隣の倉庫に焼け残りの缶詰が山と積まれており、食料不足の心配はなかったが、工具を手に自動車にさわっていくらの世界で生きてきた榊原たちは、欲求不満に苛まれた。
 ただ一人元気だったのが宗一郎である。辛うじて道路らしい跡の残った道にオートバイや自動車を思うさま走らせて、西へ東へ東京の街を観察して歩き、交通手段がなくて困っている人を同乗させたりもした。時には、礼にと米や金を差し出す人もいる。立派な白タク行為だが、背に腹はかえられない。この裏タクシー業にはやがて北沢も参加するようになり、ちょっとした臨時収入として、仕事のないアート商会の台所をしばし支えた。宗一郎の運転技術が飛躍的に向上したのもこの時期である。だが、それにも宗一郎は次第に飽きてきた。
「今日は十人乗せたけど……でも彦さん、これじゃあ完全にタクシー業ですよ……」
「まったくだ。早く自動車にさわりたいもんだなあ……」
 ふたりの駆るオートバイと自動車は、毎日の手入れを欠かさないため絶好調である。だが宗一郎と北沢は、等しく、いやになるほど思い知っていた。人の自動車を直して喜ばれてこその修理工なのだ、と。
 どんな自動車でもいいから修理したい。ふたりの一念が通じたか、ある日の夕方、朝から出かけていた榊原が、歓喜に顔を輝かせて小走りに帰ってきた。
「北沢、本田、喜べ。仕事だ、仕事ができたぞ!」
 げんなりと座り、夕陽を眺めていたふたりの顔にもたちまち喜色が射した。弾かれたように立ち上がり、上ずった声を口々に榊原に浴びせる。
「仕事!」
「本当ですか!?」
「ああ、本当だとも。驚くなよ。芝浦にな、芝浦の自動車工場に、ビュイックが焼けたままたくさん放り出してある。それがタダ同然の値段で買えそうなんだ」
 焼けた自動車を買い取り、完全な修理を施して新品に近い値段で売る。それが榊原の目算だった。だが、大火に包まれた自動車がどんな状態なのかは皆目見当がつかない。
「しかし、そううまくいきますかねえ……」
 不安げな北沢を励ますように、宗一郎はその肩をどんと叩いた。
「とにかくやってみましょうよ。おれの田舎の言葉でいうと"やらまいか"ですよ」
「やらまいか、か。なるほど、なんとなく腹に力の入る言葉だな」
 榊原が言うと、北沢は口のなかで何度かつぶやき、強くうなずいた。
「わかりました。そのやらまいかで行きましょうッ」
 翌日、陽が上るのを待ちかねて、三人は鼻息も荒く芝浦に向かった。


2001年1月3日:本田宗一郎物語(第14回) につづく



参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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