Ws Home Page (今日の連載小説) 2001年2月6日:本田宗一郎物語(第48回) 本田宗一郎物語(第48回) カブ号F型に確かな手応えを得た藤沢は、設備投資にもためらいを見せなかった。ドリーム号も好調に売れており、十条の小さな工場だけではたちまち手狭になるはずだった。 藤沢が埼玉県大和町白子(現在の和光市)にある、かつての軍需工場の購入を決めたのは昭和27年3月。あちこちが傷み、天井から雨もりするほど老朽した建物だったが、手を入れればすぐに使えそうな機械も残っていたことが大きかった。藤沢と二人、白子に工場を訪ねた宗一郎は、敷地の広さを見て無邪気に喜んだ。 「三千五百坪もあるのか。それだけでも魅力だよ。建物も修理すれば十分使える」 三千五百坪といえば、一万平方メートルを優に超える面積である。浜松市野口町のエンジン組み立て工場は四十坪ほどでしかない。我に返った宗一郎は、この広さに喜んでいていいのだろうか、という思いがよぎった。 「でも藤沢、ここが本当に買えるのか?」 眼鏡を指先で押し上げ、藤沢はにやりと笑った。 「ああ、本当さ。おれに任せておけばいいよ」 宗一郎に詳しくは話さなかったが、このとき藤沢は非常識ともいえる策を用いていた。工場を買う現金はなく、加えて銀行は当てにできない。どうするか? 持ち主に直接会いに行った藤沢は、月賦で売ってくれるように掛け合い、見事に話をまとめてきたのである。 「そうか、ここがうちの工場になるのか、喜んでいいんだな」 「ああ、ただし」 「ただし、何だ」 「東京に移ってきて欲しい」 「東京に? おれがか?」 ぽかんとする宗一郎に、藤沢はたたみかけるように言った。 「そうさ。そうすればいつでも好きなときに会って話ができる」 高い天井に、藤沢の声はよく響いた。 「社長が浜松に愛着があるのはわかるよ。でも、これからの仕事のためにもその方がいい。決心してくれないかな」 宗一郎が考え込む風情を見せたのは、ほんの一瞬のことだった。 「わかった。そうする。決めた。もう条件はないな、よろこんでいいんだな」 「よろこんでいい」 「そうか、ここがうちの工場になるのか、そうか」 「そうだ」 その翌月の4月、本田技研工業株式会社は東京都中央区槙町(現在の八重洲)に移転。宗一郎一家も、思い出多い浜松の地をあとにしている。それと並行して、白子工場の修築もすさまじいばかりの勢いで進んだ。使える機械を動かす一方で、雨もりを直している大工を横目で見ながら別の機械を入れ、すぐに試動するというあわただしさである。 宗一郎と藤沢は、毎日のように中古の機械を買って歩いた。とはいえ、宗一郎が自分から、これがほしい、あれが必要だと言い出すことはまずなかった。藤沢が宗一郎の顔色を観察し、役に立ちそうだと感じたら買い入れる。さも金があるようにカラの小切手を書き、藤沢は次々に機械を買い入れていった。だが藤沢の表情に、そうした悲愴感はみじんもなかった。藤沢は本田技研の未来を確信していたし、それは信念にもなっていたのである。 昭和27年5月、購入からわずか二か月後に、本田技研白子工場は稼動を開始した。翌6月には、カブF型千五百台を初出荷。追加注文が全国から続々と舞い込み、たちまち生産が追いつかない状態となった。 ドリーム号も、さらなる高回転・高出力という未知の世界をめざし、146ccから175cc、200ccと排気量を向上。それを追うように、生産台数も急激なカーブを描いて上昇した。 他を圧倒する高さの上げ潮に乗った本田技研は、そのままの勢いで、広い空に向けて飛び立ったのである。この空は世界へとつながっている。このとき、宗一郎と藤沢が固く信じたのも無理からぬことであった。 ● 2001年2月7日:本田宗一郎物語(第49回) につづく 参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他 Back Home Mail to : Wataru Shoji |