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2001年2月11日:本田宗一郎物語(第53回)

  本田宗一郎物語(第53回)

「もっと回せ! もっとだ。思いきりふかしてみろ!」
 まだ早朝の白子工場の一室に、宗一郎の声がエンジン音に負けじと響きわたった。試験台の上には220ccのE型エンジンを載せたドリーム号が据えられ、耳を圧する轟音を放ちつづけている。
「もっと、回せーっ!」
 エンジン音は澄んだサウンドを奏でている。ノイズが混じらないのはいい兆候だ。
「もっとだ。もっと回せーっ!」
 タコメーターの針は、レッドゾーンに突入した。
「レッドゾーンに入りました」
「いいから、もっと回せ!」
「は、はい!」
 エンジン音にノイズが混ざることも、エンジンがしゃっくりを起こすこともなかった。高速でまわるエンジン特有の澄んだサウンドに皆が酔いしれた。
 気の済むまで、エンジンを回した後、宗一郎は、誇らしげに言った。
「どうだ、おれの言ったとうりだろう」
「すいません。おやじさんのいう通りでした」
河島がそう答えた。
「そうだろう」
河島は、そういった宗一郎の無邪気な顔を今でも忘れない。
「はい。私が間違っていました!」
「間違いじゃない! 判断の誤りに過ぎん。それを認めるのが大切なんだ!」
「わ、わかりました」
「よし、おれはこれから小田原の工場に行く。キャブの交換で忙しくなるぞ」
 はい! と応じる全員の声がひとつに重なった。
宗一郎は部屋を飛び出すと、電話の置かれた机をめざして全力で駆け出した。

 5月のその朝を、藤沢は生涯忘れることがなかった。E型エンジンのトラブルが解決した直後、まだ成功の余韻が残る工場から、宗一郎が息せきききって電話をかけてきた朝である。片づいたよ、というのが、宗一郎の第一声であった。
「昨日の夜、寝床のなかでキャブの新しい仕様を考えついたんだ。それに交換したら、頭のなかでエンジンが完璧に回り出して、止まらなくなったんだ。おれの思った通りだったんだ。エンジンが良すぎてだな、そのパワーにキャブが追いつけなかったんだ。その改良の方法を思いついたんだ。今実験にも成功したんだ。もう大丈夫だ。もう心配しなくていいぞ」
 やや上ずってはずむ声から感じ取れるのは、問題を解決した技術者の歓喜ばかりではなかった。藤沢の心身におよぶ労苦を一心に案じていた宗一郎の思いが、そこには色濃くにじんでいたのである。
「本当に大丈夫だからな」
 念を押すように言って、宗一郎からの電話はいきなり切れた。藤沢は苦笑を浮かべて、受話器を置きながらつぶやいた。
「言い忘れたよ。社長、こっちも大丈夫だ」

 ドリーム号の失敗は、皮肉なことだが、宗一郎の飛び抜けた先進性に起因していたといってよい。その発想に、部品技術がついていけずにいたというのが当時の実状であった。 誰もやったことのない未知の分野に挑む。そこには試行錯誤が不可避的に発生する。しかし、そうして重ねた宗一郎の試行錯誤こそが、日本の機械工業そのものを進化へと駆り立てていったのである。本田宗一郎とは、まさに特異な個性であった。それを誰よりも正確に見抜き、わずかな空隙もない信頼を寄せたのが、藤沢武夫という男であった。

 小田原のキャブレター・メーカーの工場は、宗一郎の考案した改良型キャブレターの生産でフル稼動へと突入した。そのキャブレターに取り替えるだけで、ドリーム号のエンジン・トラブルはあっけないほど容易に解消した。本田技研の各工場は、在庫の山を築いていたドリーム号E型220ccのキャブレター交換に追われ、営業を担当する社員は、新しいキャブレターを鞄に詰め込み、メーカーの人間を連れて日本中の販売店や顧客の間を飛び回った。
 こうした経緯をくぐり抜けて、本田技研は完全に立ち直った。かと思えた。だが早くも、次の難題が動きはじめていたのである。危機がひそんでいるのは、外注の業者でも、銀行でも、製品でもなかった。本田技研の内部に巣食う、それは目に見えない敵であった。

2001年2月12日:本田宗一郎物語(第54回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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