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2001年2月12日:本田宗一郎物語(第54回)

  本田宗一郎物語(第54回)

 改良型キャブレターの生産開始から数日後には、本田技研の緊急体制は解かれた。ドリーム号E型は220ccのオートバイとして、堂々とわが道を走り出していた。
 売れ行き不振による落胆、ドリーム号200ccの臨時生産がまねいた緊張、そののちの安堵。続けざまに本田技研を襲った一連の出来事は、従業員に微妙な影響を投げかけていた。
 ホンダが世界的なメーカーになることを信じて入社したものの、意外なもろさに失望して覇気を失った若い技術者たちもいた。復活に安心し、そのまま虚脱したように弛緩しきった社員たちもいた。災厄のような危機がいつまた訪れるか知れたものではないと、仕事に集中できない者も現れた。彼ら全員に共通していたのが、志気の衰えである。それを裏書きするように、生産の現場では、エンジンのなかにナットが落ちているという単純きわまるミスも起きていた。

「なってないよ、今の若い連中は。どいつもこいつもたるんでる」
 やる気の低下には、宗一郎も憤慨していた。藤沢に呼び出された喫茶室で、運ばれたばかりのコーヒーをがぶりと飲み、その熱さに腹を立てたかと思うと、宗一郎はきりきりと眉を寄せまくし立てた。
「おれがいくら怒鳴っても、ナットをきちっと締めないのがいる。休み時間が終わってもだらだら煙草を喫ってるやつがいる。あんなことがあったあとだから、どんな部品も、いい加減な状態で出しちゃならないんだ。余計に気を引きしめないといけないっていうのにさ」
 宗一郎に好きなだけ言わせると、藤沢は穏やかに口を開いた。
「若い者に頭ごなしに言ってもそりゃ無理だよ。理屈のわかる年齢じゃない」
 テーブルに肘をつき、下からすくい上げるように藤沢を見ていた宗一郎が、不機嫌そうな表情をくずさずに言った。
「じゃあ、聞くが、専務に何か考えがあるのか?」
「ある。それもとびきりのやつがな」
「なんだよ」
「・・・・社長、そろそろ、いいんじゃないか、口にしても」
「なんだよ、もったいぶるのもいいかげんにして欲しいもんだ」
「マン島だよ。T・Tレースに出たいんだろう」
「・・・・」
「俺は、今、うちで一番問題なのは、社長自身だと思っているんだ。社長が現実問題に関わって、イライラすればするほど、若い連中は、ついてこなくなるぞ。士気もかえって落ちるだろう。うちの社長は、みんなを代表して夢を見つづけていなきゃいけないんだ。俺もそうだ、社長には、世界一になるぞ、って高らかなラッパを吹いていて欲しいんだ」
「お前・・・・」
「現実問題は、おれが責任を持って対処するから」
「・・・・必ず優勝してみせる。日本のために」
「藤沢のために勝つと言って欲しいもんだな。そうすれば俺も楽になる」
宗一郎は、涙をこらえるのに必死だった。自分のためになどと言ってはいるが、俺のためにあえてそう言っているのがひしひしとわかったからだ。やっとの思いで宗一郎は、藤沢にこう言った。
「わかった、お前のために優勝してみせる」

 T・TとはTourist Trophyの略。モーターサイクルのオリンピックと呼ばれた、世界で最も代表的なロードレースである。1907年に第一回が開かれた歴史と伝統のあるイベントでもあり、開催期間中はマン島というイギリスの小さな島に、世界中から何十万人もの人々が訪れることでも知られていた。ここで優勝することは、名実ともに世界一を意味し、世界中のオートバイ関係者の夢であった。

「社長の力ならきっとできるさ。若い連中も喜ぶぞ」
「マン島に日の丸を上げてやる。この手で、絶対にな」
「よし。それなら宣言文を書こう」
「お前、書いてくれよ。おれは文章は苦手だ」
「わかった、俺が書くから、一緒に考えてくれよ、それにサインはしてくれないと困るしな」
 後年に名高い『マン島T・Tレース出場宣言』は、こうして書き下ろされることになった。

   わが本田技研創立以来ここに五年有余、画期的飛躍を遂げたことは、全従業員努力
  の結晶として誠に同慶にたえない。
                 ……中略……
   わが本田技研はこの難事業をぜひとも完遂し日本の機械工業の真価を問い、これを
  全世界に誇示するまでにしなければならない。わが本田技研の使命は日本産業の啓蒙
  にある。
   ここに私の決意を披瀝し、T・Tレースに出場、優勝するためには、精魂を傾けて
  創意工夫に努力することを諸君と共に誓う。右宣言する。

本田技研工業株式会社社長 本田宗一郎


2001年2月13日:本田宗一郎物語(第55回) につづく



参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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