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2001年2月21日:本田宗一郎物語(第63回)

  本田宗一郎物語(第63回)

 この年、本田技研工業は東証一部に上場。翌昭和33(1958)年7月には、満を持して発売したスーパーカブ号が爆発的なヒット作となったが、決して全てが順調だったわけではない。
 発売後2ヶ月ほどして、クラッチの切れが悪くなって滑るという苦情が出た。交換用の部品を販売店に送っても、直せないと言ってきた。トラブルの処理にもたついているうちに、ついには売れ行きが鈍りはじめたのである。
 藤沢は頭をかかえた。目標の月産三万台を達成するには、在来の工場や生産設備では間に合わず、約六十億円の投資で鈴鹿に新工場の建設を予定していた。それが決まった矢先の出来事だったのである。
 このまま鈴鹿工場が稼動を始めたらどういうことになるか。考えたくもなかった。命が縮む思いで、藤沢は会社と工場、あるいは研究所を右往左往した。
 たかがクラッチ、どうして部品を交換しても直らないのか、と読者の方は思われるかもしれない。それは、スーパーカブが当時としては画期的なセミ・オートマチック、つまりノークラ(クラッチが無いシステム)だったからである。出前の人達に使ってもらうことを想定していたため、片手で運転できることは最初からの目標だ。これも未知の領域だった。8種類の機構が試作され実験が繰り返された。
 スーパーカブの心臓部であり、宗一郎が最も自慢していた部分の欠陥である。この話を宗一郎にすれば、全てを差し置いても、その欠陥の解に集中するであろうことは、藤沢にはわかっていた。しかし、藤沢は、そうしたくなかった。今は、来年に予定されているマン島T・Tレース出場のためのマシン開発に専念して欲しかった。いや、専念させてあげたかったのである。

 その頃宗一郎は、イライラしていた。来年早々発表するマン島T・Tレース用のエンジンの回転数が、自分が想定していた程には上がらないのである。
「どうしてそれ以上回らないんだ」
「これ以上まわしても、無駄なんです」
「無駄あ!なぜだ?」
「排気ガスを調べたんですが、燃焼していないガソリンが含まれているんです。つまり、これ以上回しても、燃焼が追いつかないんだと思います」
「燃焼が追いつかない、ってどういうことだ」
「燃えきらないうちに吸気バルブが開き、次の混合気(ガソリンンと空気が混ざったもの)が入ってきてしまって」
「俺はそうは思わんぞ!ちゃんと排気が済む前に、混合気が入って来るからじゃないのか。ちゃんと排気をしてやれば、もっと回るはずだ」
「・・・・」
「不満そうじゃないか。どうしてそんなことがわかるのか、っていいたいんだろう」
「・・・・」
「あのな、音でわかるんだ、エンジンのな。いいか、バルブの開閉のタイミングが回転についていってないんだ。だから、まずはタイミングが狂わないような方法を考えろ! ああ、つまりだ、バルブを動かす機構をシンプルにしろってことだ」
「はい」
「それと、もうひとつ。バルブの径もっと大きくしろ」
「これ以上は無理です。バルブの直径は、シリンダーの直径の半分以上にはなりません。そのためにプラグだって小型のものを開発したんです」
「じゃあ、円形じゃないバルブを考えろ」
「勘弁してください。排気管の断面だって円なんですし、そんなのは無茶です」
「それなら、バルブを4つにしたらどうだ。そうすれば真中にプラグに場所が取れるだろう」
「4つのバルブを動かすとなると、その摩擦のロスが」
「いいか、俺がOHVをやろうとしたときも、OHCのときもそうだ。誰かが必ず摩擦のロスがうんぬんと言う」
「・・・・」
「だが、うまくいったろう・・・・」
「今から設計し直しですか」
「必要ならしょうがないだろう」
「時間が・・・」
「つべこべ言っている時間があったら、図面でも引け」
「は、はい!」


2001年2月22日:本田宗一郎物語(第64回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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