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2001年2月22日:本田宗一郎物語(第64回)

 クラッチの問題が解決したのは、その年の暮れも押しつまった頃のことだった。
「直りました。テストもOKです」
「ありがたい。すぐに行くよ」
 置いたばかりの受話器に向かって手を合わせ、藤沢は工場へと急いだ。クラッチの改善に成功したのは、入社五年目の若い技師だという。新しい人材が育ってきている手応えを、藤沢は確かなものとして感じ取った。
 藤沢はただちに営業とサービス工場を総動員し、全国の顧客のクラッチを直して回らせた。昭和34(1959)年が明けてからも、本社で待機する藤沢はじめスタッフは正月休み返上である。結局1月いっぱいかかって、クラッチの修理は完了した。スーパーカブの売れ行きが真の意味で走り出したのは、それから後のことである。

 その頃宗一郎は。
「そらみたことか、回るようになったじゃないか」
「そりゃそうですけど、吸気バルブのために1本、排気バルブのために1本、あわせて2本のカムシャフトをシリンダーヘッドの上に置くなんて、それも125ccのこんなに小さなエンジンにですよ。誰もやりませんよ。まるで時計を作っているんじゃないか、と思うときがありますよ」
「誰もやらないから、世界一になるチャンスがあるんじゃないか。それに、お前は、なかなかの時計技師だぞ」
「おやじさん」
「お、そうだ、もう一つやってもらいたいことがある、時計技師にな」
「・・・・」
「吸気、排気ともバルブを2本にしてくれ」
「・・・・来月には、記者発表ですよね。このマシンの。それには絶対間に合いません」
「あのな、記者発表のためにマシン作ってるんじゃないぞ、来年の6月だ」
「レースに出すのも、ぎりぎりです。全スタッフを、このマシンの成熟に当てた方が」
「いいか、完走するのも大事だが、俺たちは優勝をめざしているんだ。そのことを忘れるな」

 昭和34(1959)年1月
「マン島T・Tレース出場を宣言してから五年……。ようやく外国に負けないレーサーが完成しました」
 静かに切り出す宗一郎の前には、多数の報道陣が顔をそろえている。
「わが本田技研は、本年のT・Tレースの125ccクラスに出場いたします!」
 興奮を抑えきれず、宗一郎が声を張ると、カメラマンが一斉にフラッシュを瞬かせた。
「ご覧ください。あそこにあるのが、わが社が独自に開発したRC141です」
 記者たちの視線とカメラのレンズが、部屋の一角にさっと移動する。そこには、完成したばかりのレーサーが置かれていた。それはフラッシュの光を反射して文字通り輝いていた。
「RC141は、ダブル・オーバーヘッドカムシャフトを搭載したエンジンで、1万3千回転まわります」
記者が質問した。
「何馬力出ているのですか?」
「18馬力」
会場はどよめいた。125ccで18馬力もでるのか、と口にする記者を抑えるように、一人の記者が立ち上がった。
「125cc級はT・Tレースの中でも最激戦種目と言われていますね。優勝を狙うなら他のクラスで、ということはお考えにならなかったのですか?」
「その通りだな。だがな、どうせ出場するならいちばん難しい種目がいいじゃないか。恋人にするなら、とびきりの美人がいいようにな」


2001年2月23日:本田宗一郎物語(第65回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他


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