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2001年2月23日:本田宗一郎物語(第65回)

 本田宗一郎物語(第65回)

 スーパーカブのトラブルの全面的な解決が見えてきた今、藤沢は次の段階に着手しようとしていた。その内容は、ある意味では宗一郎の挑戦と相通ずるものである。藤沢が視界の正面に据えているのは、ホンダの世界的戦略であった。

 本田技研が初めて製品を輸出したのは昭和25年。小さい商社を通じて、エンジンを三百台ほど台湾に送り出したのが皮切りである。このとき藤沢が実感したのは、商社には自分から積極的に売ろうとする意志がまったくないという一事であった。なかでも、二輪車はふたつの理由から敬遠された。ひとつは、製品に関する知識が商社側にないこと。もうひとつはアフターサービスが求められる商品であることである。追加の発注を得ようと何度か商社に足を運んだ末、藤沢は彼らに頼ることをすっぱりと断念した。国内で流通経路を開拓したのと同様に、ホンダ自身で地道に海外へのパイプをつくるしかない、そう決心したのである。
 熾烈な開発競争を経て、二輪業界はホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの四社体制がほぼ確立していた。ホンダ以外の3社は、商社を通じてすでに輸出を開始している。だが藤沢が、他社に遅れをとったと感じたことは一度もなかった。急がば回れということもある、肝に銘じながら、藤沢は虎視眈々と時期の到来を待っていた。
 その目算がついたのが、東証一部への上場も果たした昭和32年のことであった。藤沢は、やがて本田技研の副社長となる若き日の川島喜八郎を、この年は東南アジア、翌年はアメリカへと調査に送り出している。
 川島の行動とは別に、調査会社に市場調査もさせた。その調査結果によれば、有望な市場はヨーロッパであった。当時のアメリカはオートバイの売れない国で、消費は一年間にわずか六万台程度。しかもバイクに乗るのは"ブラック・ジャケット"と呼ばれる暴走族まがいの連中のみという状況であった。一方のヨーロッパは、有力なメーカーも多く、年間で三百万台ものオートバイが売れていた。
 しかし藤沢は、その調査結果を読んで、自分の考えが正しいことを確信した。
「アメリカだ。ヨーロッパはだめだ」
と藤沢は川島に言った。
「世界の消費経済はアメリカから起こっている。アメリカに需要を掘り起こすことができれば、その商品には将来性があるということだ。逆にアメリカで売れない商品は、国際商品に決してならないのだ」
 しかもアメリカは、文句のつけようがない巨大市場である。ここに進出し、大量の輸出が望めるようになって初めて、多機種大量生産が可能になる。それによって価格も下がり、さらには国内市場での競争力も強くなる。そうした理想的な循環を、藤沢は見抜いていたのであった。
 あるとき、アメリカからサンプル輸入のオーダーがあった。しかし、藤沢はそれを頑として断った。アメリカに出るなら、中途半端はだめだ。全面的・本格的な進出以外は絶対に考えない、それがその理由であった。
 宗一郎が技術の天才なら、経営戦略の面で、藤沢は天才だった。しかし最も重要な点は、二人の天才が信頼し互いに相手を尊重していたことであった。このことを、私達は決して忘れてはならない。

 昭和34年5月。スーパーカブ号が軌道に乗ったことで、機は熟した。そう判断した藤沢は、川島を呼んだ。そしてこう告げた。
「アメリカに行け。おれの切り札はお前しかいない。お前がアメリカに行って、もしうちのオートバイが売れなかったら、俺は社長に頼んで、会社を閉じてもらうよ。閉じて本田教でもつくったほうがましさ。いいか、冗談ではないぞ。その覚悟でアメリカに行ってくれ」
 まず現地法人を立ち上げることだ。藤沢は大蔵省に認可の申請を出した。しかしこれは受理されなかった。日本にドルがなく、本田技研にも輸出の実績はない。現地法人を作った四輪のトヨタが、失敗して引き上げてきた直後という時期も災いした。ホンダに何ができるか、というのが役所の本音であったに違いない。
 しかし、藤沢はあきらめなかった。あらゆる手づるを使って国に働きかけた。
「どうしても自分の手で、アメリカに販売網を作りたいんです。必ず日本のためになります。百万ドルの現地法人の許可をとっていただけないでしょうか。必ず日本のためになります」
 こうした藤沢のねばりがあって、ロサンジェルスに現地法人アメリカ・ホンダが立ち上がった。昭和34年6月のことであった。この時期、宗一郎のレースへの挑戦と、藤沢の世界戦略がぴったりと重なっていたことは興味深い。宗一郎は、同じ6月のはじめ、T・Tレース参戦に向けて、河島喜好を監督に、鈴木義一、谷口尚巳、鈴木淳三、田中禎助の四選手をマン島に送り込んでいる。
 宗一郎と藤沢。二人の天才の、乾坤一擲の大勝負が、異国の地で始まろうとしていた。


2001年2月24日:本田宗一郎物語(第66回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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