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2001年2月27日:本田宗一郎物語(第69回)

  本田宗一郎物語(第69回)

 青天の霹靂、であった。
 特振法。正しくは特定産業振興法案。貿易の自由化にそなえて特定の産業を指定し、さまざまな特典を与えて国際競争力を強めようとする主旨で、通産省が推進していた法律である。
 特定産業については重電機、石油化学などが予定されていたが、とくに乗用車については、メーカーの新規参入を禁止する内容が含まれていた。四輪メーカーの乱立を防ぎ、国内の過当競争を阻止しない限り、日本車はアメリカ製に太刀打ちできないとされたのである。通産省は、以下の三グループに力を集約する構想を持っていた。
 量産車グループ:トヨタ、日産、東洋工業(現マツダ)。
 特殊車グループ:プリンス、いすゞ、日野。
 小型車グループ:三菱、富士重工、東洋工業、ダイハツ。
 この法案が通れば、ホンダが四輪に進出する機会は永遠に失われる。宗一郎の夢は、実現のなかばでついえてしまうのである。
 通信相は、昭和36年からひそかに立法化を進めていた。その噂を、宗一郎は研究所に取材で訪れたある新聞記者から耳にした。
「なんだと!? いま何て言った!」
「ですから、国内の過当競争を抑制するために・・・・。まだ裏はとれていないんですが―」
「くそーっ……、一体どういうつもりだ、この野郎!」
 怒りに、眼の裏が赤黒く染まった。俺たちが一生懸命働いて収めた税金で食っている奴等に、どうして俺たちから自由を奪う権利があるというんだ。おかしいじゃないか! 感じたことのない憤りに、宗一郎の身はぶるぶると震えはじめた。
「ふざけるなっ!」
 宗一郎は椅子を蹴って立ち上がると、取材を続けようとする記者を無視して部屋から飛び出した。行く先は決まっていた。通産省だ。

 顧客に向かって、安くて価値のある製品を送り出す。それがひいては社会に貢献することになる。商品が受け入れられなくて、社会に貢献できおないのであれば、そういった会社が消滅していくのは当たり前のことだ。それが宗一郎の抱く企業理念であった。会社の存続は、あくまで消費者である国民に委ねるべきであって、企業は経営判断をそこに根ざして行うものである。けっして国や官僚の思惑に左右されるものでないし、指導されるものでもない。自由経済主義において、ごく常識的なルールである。これを無視し、力ずくで介入しようとする役人たちが宗一郎には許せなかった。
 これより前から、本田技研が四輪車の生産を意識しはじめていたという事情もあった。昭和35年に本田技術研究所を本体から分離独立させたのも、その現れであった。また社内には、四輪研究開発部隊が発足してもいた。責任者は中村良夫。オート三輪メーカーのクロガネが倒産したため、ホンダに移ってきた人物である。中村にオートバイを作るつもりはなかった。宗一郎との面接で、ホンダは四輪をやる気はあるのか、と正面から訊いたのもこの男である。あるよ、と宗一郎は短く、しかし強い調子で答えていた。

 宗一郎は特振法の立法化に正面切って反対し、本田技研と通産省は烈しく対立した。猛然たる鍔ぜりあいは激化する一方で、マスコミもそれに飛びついた。通産省出身のある業界幹部が間に入り、宗一郎と通産省事務次官の会合を設定したのは、肌寒い一日のことであった。
 事務次官の名は佐橋滋。その権勢ぶりから、当時、天皇と呼ばれた人物である。しかしこれも、火に大量の油を注ぐ結果となった。
「ずばりお尋ねします。本田技研は四輪車を作るな。そうおっしゃるのですね」
 宗一郎は、つとめて冷静に切り出した。だが、その眼は憤怒にめらめらと燃えている。佐橋は、眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせて応えた。
「まあ、はっきり言ってしまえばそういうことです。アメリカのビッグ3に対抗するには、日本の自動車メーカーなど二、三社でいい。新規参入を許す意味も必要もありませんよ」
 黙り込む宗一郎を見下すように眺めて、佐橋は続けた。
「それに、ホンダさんは二輪車だけでも企業として十分存続していけるでしょう」
 自制は、ぶつりと切れた。宗一郎は立ち上がって叫んでいた。
「ふざけるなあっ! うちの株主でもないあんた方に、四輪車を作るななどと指図されるいわれはないっ」
 佐橋は動じず、つい、と眼鏡を押し上げた。
「しかしね、本田さん。貿易の自由化は目の前だ。それまでに日本の四輪業界の体質を強化しておかないことには―」
「あんた方役人に何がわかる!? オートバイだって外国製品に立派に太刀打ちできた。厳しい競争があるからこそ、企業は必死になって努力するし、成長もするんです。自由競争のみが、競争力強化の真の手段なんだ」
「オートバイと自動車は別ですよ。あなたはフォードやGMに勝つ自信がおありですか?」
「あるに決まっているでしょう。オートバイでやったことを自動車でもやるのです」
 顔を歪めるようにして笑い、佐橋はこう言い放った。
「私たち官庁は国のためにどうあるべきかを考えている。あなたは自分の欲望や会社のことしか考えてないのではありませんか?」
「なんだと? 俺が私利私欲で会社をやっているとでも思っているのか! 俺たちが、オートバイで世界一位になったとき、お前らはなんて言った。日本のために日の丸を揚げてくれて感謝しています、なんて言ってやがったじゃないか。いいか、俺がもし自動車で日の丸を揚げたときには、お前は切腹するぐらいの覚悟をしておけ」
 宗一郎は立ち上がり、会談はあっという間に決裂した。出された茶にひとくちもつけず、宗一郎は通産省の建物をあとにした。宗一郎は涙した。悔しかったからではない、今まで、俺に殴られながらついてきてくれた河島や、俺に金の心配をさせまいと頑張ってきてくれた藤沢の顔がちらついたからであった。そして一人つぶやいた。
「すまん」


2001年2月28日:本田宗一郎物語(第70回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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