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2001年3月4日:本田宗一郎物語(第74回)

  本田宗一郎物語(第74回)

 ホンダF1チームのエンジニアたちは、宗一郎の陣頭指揮のもとで見事な集中力とはたらきを見せた。
 12月末、完成したばかりの実戦テスト用のシャシーを目にして、宗一郎は子供のように喜んでいた。カウルの色は目を射るようなメタリック・ゴールド。宗一郎みずからが決めた色である。にこにこしながら、宗一郎はテスト用のシャシーの周りを、何度も何度も繰り返し、ぐるぐると歩き回った。その姿に、研究所のスタッフ全員が心から安堵した。すでに初旬には、ロータスとの約束通り、RA271Eの実物のエンジン・ブロックを使ったダミー・エンジンをイギリスに送り出している。あとに残されているのは、モナコに向けてRA271Eを徹底的に仕上げる作業だけだった。そうした状況を受けて、昭和39年が明けてまもなく、宗一郎は先に述べた、ホンダF1進出発表の場に臨んだのである。達成感と希望で、チーム全員の胸がはちきれるような時期であった。

 プロジェクト・チームは、テスト用シャシーにRA270Eを載せ、5月10日に決勝のおこなわれる初戦のモナコ・グランプリをにらんで、すでに実戦用のテストに入っていた。そこに1通の電報が届いた。ロータスの責任者、コーリン・チャップマンからのものだった。
「これは……」
 電報を読み進むうち、中村の全身は信じられない思いと怒りでわなわなと震えはじめた。
「くそおっ……!」
 実はこのたび、コベントリー社がジャガーの傘下に入るはこびとなった。ロータスとしてはジャガーからさまざまな援助を受けており、したがってホンダF1エンジンを使える状態ではなくなった。悪しからずご了承いただきたい。
 中村の頭に最初に浮かんだのは、F1参戦を一年延ばすしかないな、というあきらめであった。
 他のチームと提携できないだろうか。考えるまでもなく、不可能であることはわかっていた。ホンダとロータスが約束を交わしたように、パートナーは前年の秋に決まっているのが通例である。
 訪欧を通じて、ブラバム・チームを率いるジャック・ブラバムとは非常に親しい仲になっていた。まだホンダでF1エンジンの開発が始まる前、ジャック・ブラバムがふらりと研究所を訪れるという、両者にとって因縁浅からぬ出会いもあった。しかし今となっては手遅れであった。よしんば、年が明けた今になってエンジン・サプライヤーを見つけていないシャシー・メーカーがあったとしても、それは闘う能力のない二流、三流のチームだ。それはホンダが組むべき相手ではなかった。
 中村は、電報を手に立ち上がると、宗一郎の姿を探して研究所を歩き回った。宗一郎に怒鳴られるのはわかっていたが、それよりもチャップマンに対する怒りが勝っていた。
 怒りをぶちまける中村を遮って宗一郎が怒鳴った。
 「貴様、チャップマンに文句を言える分際か、この野郎!お前が選んだ相手だろ!栄光だの名声だの実績だの、俺が大嫌いな理由を並べ立て、絶対に大丈夫だから、と言っていたのは、お前だろうが。悪いのはお前だ。寝ずに頑張ったエンジニアたちに、何と言い訳するつもりなんだ!徹夜で頑張ってきたエンジニアに比べりゃ、お前なんか何もしてないじゃないか。俺がお前なら、日本になんか帰ってこないで、ロータスにへばりついていたぞ。お前がすべきことは、そういうことだったんじゃないのか。挙句のはては、こんな電報が届きました、だと? まるで他人事じゃないか。いったいどう責任をとるつもりだ」
 「……」
 「いいか、お前ばかりでなく、ホンダが舐められているということだぞ。1年延期だと。バカ言え。舐められたまま、引っ込んでいられるか!」
 「……」
 「チャップマンだかなんだか知らんが、言ってやれ!うちはうちでやるとな。わかったか!」
「は、はい」

 中村は、宗一郎の指示通り、コーリン・チャップマンに向けて、たった一行の電文を打った。
「電報は読んだ。ホンダはホンダ自身の道をゆく」
 この一行をきっかけに、ホンダは怒涛のただなかへ身を投じてゆくのである。


2001年3月5日:本田宗一郎物語(第75回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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