Ws Home Page (今日の連載小説)


2001年3月9日:本田宗一郎物語(第79回)

  本田宗一郎物語(第79回)

 ベルギーのアロスト工場でRA271の最終整備を済ませたホンダF1チームは、トランスポーター二台とマイクロバスを連ね、7月29日、ニュールブルクリンクへ向けて出発した。
 サーキット場に近いホテルに到着したのは、すでに真夜中近い時間であった。あふれるような笑顔で一行を迎えたのは、先に現地入りしていたロニー・バックナムである。コースに馴れるため、バックナムは何日も前からレンタカーで走り込みを繰り返していた。
「調子はどうだい?」
 中村の問いに、バックナムは少しばかり胸を張ってこたえた。
「いいよ。今日は二十一周走ったけど、とてもいい」
 ニュルブルクリンクのコースは全長22.8km。F1グランプリ中、最長のコースである。それを一日で二十一周しただと……? あきれる中村を後目に、バックナムはクルーの間に入り込み、身ぶりをまじえた真剣な表情で、コースについて説明していた。チームワークが生まれつつある確かな手応えを、全員が感じとっていた。

 翌朝、ホンダF1チームは、いよいよニュルブルクリンクのピットに入った。
 初参戦のホンダのピットは、レーンのいちばん端にあった。ロータスやフェラーリ、ブラバムといった最上位チームのピットははるか彼方である。しかし、コーリン・チャップマン、ジャック・ブラバム、ジム・クラーク、グラハム・ヒル、ジョン・サーティースといったF1界の大物達と、俺たちは今、同じ空気を呼吸している。そう思うと、クルーの誰もが興奮と感動を覚えた。そして、おやじさんの無謀ともいえる判断のおかげで、今ここにこうしていられることに感謝しつつ、彼らは翌日に迫った公式予選用のマシン・セッティングを始めた。

 関係者たちへの挨拶をすませた中村のもとには、ジャーナリストが殺到していた。ドイツ・グランプリのスタッフはホンダのF1チームに対して非常に好意的で、コースを無料周回できるパスの提供といった具体的な手助けのみならず、記者を次々に引っ張ってきては中村に紹介してくれたのである。戦争中は中島飛行機で戦闘機の設計にたずさわっていた中村は、たちまちゼロ戦の主任設計者に祭り上げられた。
「いや、僕はエンジンのほんの一部を手がけただけですから」
「謙遜することはないよ。いやあ、大したもんだ」
 盛大な歓迎に、中村は萎縮した。ぶざまな真似はできないな、という気がした。レースと同じ距離を走ったことのないRA271が、一体どこまで保つのか。中村の頭は、そのことで一杯になっていった。

 7月31日。ドイツ・グランプリの公式予選第一日目が訪れた。それは史上初めて、日本製のマシンがF1グランプリに参加する日でもあった。炸裂するエンジンの爆音、オイルの焼ける甘い匂い、サーキットを包む独特な雰囲気。しかし、ホンダ・クルー達は、その雰囲気にひたる余裕はかった。昨日から、いや、トランスポーターの色の指定の手違いの時点からかもしれない。判断の甘さと、決断力のなさと、が積み重なって、ホンダF1チームの予選初日は、前日の中村の心配すら下回る惨憺たる内容に終わった。RA271は結局、一周のタイム・アタックもこなせなかったのである。
 走らせてみるまでもなく、エンジンの吹け上がりは最悪だった。いったい今まで何をしていたのか。結局、午前中のセッションはキャブレターの調整だけに追われるはめになった。12個もあるキャブレターの調子を均一にするのは気の遠くなるような作業だった。メカニック達は、自慢の12気筒エンジンを恨めしく思った。そういった雰囲気は、ますます、決断力と判断力を鈍らせる結果となった。午後になってもエンジンの調整はうまくいかなかったが、規定周回数をこなさなければ、というあせりが、次のミスを生んだ。送り出したRA271は、オイルを流しながらピットに戻ってきたのだった。そのときRA271は、走れる状態ではなかった。一周目の途中で腹をこすり、オイルパンを破損してしまったのだ。
 イージーミスとも呼べない、あまりにお粗末なミスだった。彼らはニュルブルクリンクのアップダウンを計算に入れず、ザンドフールトでセットした車高のまま走らせていたのである。
「まいったな……。おやじさんがいたら、大変なことになっていたな」
「……」
 いや、おやじさんがいたら、こんなことにはならなかった。俺達の緊張感が足らなかったのだ。おやじさんから怒られなければ緊張を維持できない俺達が未熟なんだ、と若いエンジニアの一人は思ったが、中村の前で、口にすることはできなかった。
 快調にコースを周回する他チームのマシンのエンジン音を、おやじさんの怒鳴り声のように感じた者もいた。
 中村はことさら明るい声をかけた。
「まだ終わったわけじゃないぞ。修理をすませて明日に備えよう」
 しかし現実は、明るい声を出せるほど甘くはなかったのである。


2001年3月10日:本田宗一郎物語(第80回) につづく



参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

Back
Home



Mail to : Wataru Shoji