Ws Home Page (今日の連載小説) 2001年3月13日:本田宗一郎物語(第83回) 本田宗一郎物語(第83回) 9月4日、イタリア・グランプリの公式予選が始まった。 中村は、腹立ち紛れに口にした。 「なんだ、この燃料噴射装置は、まるでオモチャだ。圧力も低いし常時噴射の垂れ流しじゃないか。こんなんじゃ低回転域がますます扱いにくくなる、社長はいったい何を考えているんだ」 中村の愚痴が、チームの士気を落としたのはいうまでもない。 「監督、文句ばっか、いわないでくださいよ。燃料噴射が上手くいかないと思っていたのなら、どうして日本にキャブレターを送ってくれって、言わなかったんですか」 「社長が、OKするはずがないだろう」 「監督は勝ちたいといいますが、勝ちたいなら、真っ先にすることがあると思いますがね」 「なんだ」 「おやじさんを説得することですよ」 「社長が俺のいうことを聞くわけないだろう」 「じゃあ、監督が勝ちたいというのは、たいした願望じゃない、ということですね。おやじさんに直接怒鳴られないことを優先しているんですから。だったら、僕達の前で愚痴るのはやめてください」 「……」 それでも、RA271の直線スピードは、どのマシンよりも速かった。モンツァは高速サーキットであり、直線スピードの速いRA271に向いていた。特にホームストレートでの速さは、圧巻であった。 しかし、その直線でエンジンを全開にした時に問題が起こることがわかった。水温とオイルの温度が、限界近くまで上がるのだった。 中村は、迷ったすえ、チーフエンジニアに言った。 「オイル・クーラーを増設しよう。パイプにバイパスを作れば何とかごまかせるはずだ」 チーフ・メカニックの顔が一瞬曇るのを、中村は見逃さなかった。 「どうした? そんなに大した作業じゃないだろう」 「もっと、早く言っていただければ間にあったかもしれませんが」 「オイル・クーラーぐらいすぐ付けられんのか」 「オイル・パイプは航空機用のものですから、ここで加工するのは簡単ではありません。とにかくガッチリできていますから、ここで手を入れると、元に戻らなくなる可能性もあります」 「くそうっ。こんなことをするから車が重くなるんだ。どうやって整備しろっていうんだよッ」 「で、どうしますか。一応加工してみまようか?」 「もう、いい、そのままでいい」 スタッフから離れた場所まで行き、中村は思いきり毒づいた。怒りで体が震えていた。外国人のクルーや記者が、不思議そうに振り返って見ては通り過ぎる。 結局対策を施さないまま出場したイタリア・グランプリは、七十八周のうちわずか十三周を走ったところで終わった。オーバーヒートによるリタイアであった。 次のアメリカ・グランプリで、その問題は解決するはずだった。RA271には、工場で新しいオイル・クーラーが取り付けられていた。しかし、バックナムが公式予選で起こしたクラッシュで、新設のクーラーを壊してしまい、その修理が完璧でなかったために、レースはオーバーヒートにより、またもリタイヤとなった。 だが、スタッフ達は落胆していなかった。三戦を走った結果、ホンダのマシンが相当のポテンシャルを秘めていることを確信できたからである。なかでも、独特の美しい高音を発しながら、モンツァのストレートを駆け抜けるRA271の姿は忘れることができなかった。それはヨーロッパのジャーナリズムも同様であった。鮮烈な印象を受けた記者たちは、そのイタリア・グランプリから、ホンダ・ミュージックということばを使い始めたのである。 中村の心は、早くも翌昭和40(1965)年に飛んでいた。アメリカ・グランプリ終了後、BRMチームのセカンド・ドライバーをつとめていたリッチー・ギンサーと翌年の契約を交わしたのも、その意欲の表れであった。ギンサーは、マシンを熟成させることのできる数少ないレーサーの一人として知られていた。ギンサーにマシンを仕上げさせ、実戦ではバックナムに賭ける。中村は、そんな計画を抱いていた。 F1グランプリは、最終戦のメキシコを残していた。しかし中村は、出場はせずに帰国する道を選んだ。遠いメキシコまでわざわざ転戦しても、今以上に得るものはないだろう。であれば、早く来シーズンの準備に取りかかった方がよい。そう判断したのである。 客観的に見た場合、三戦連続リタイアという結果は、決して不名誉ではなかった。スタッフ達もそう思っていた。しかし、本田宗一郎は、そうは思っていなかった。 「なにが、いい手ごたえだ! 実績のある向こうの部品が使いたい、と言っているこせに、実績を作ることを何故しない。一つでも多くのレースに出場することが自ら実績を作ることだろう」 「……」 「二輪を見ろ。いい成績を上げているだろう」( 1964年の二輪のおもな成績はこちら ) 「……」 「二言目には、二輪とは違うと、お前達は言う。ああ、確かに違うな、二輪の連中は言い訳などしないが、お前達は愚痴ばかりだ。緊張感がないから、段取りがいつもちぐはぐだ。いいか、お前達が、ヨーロッパで、きちんとしたもてなしを受けられるのはな、二輪の連中が作ってきた実績が評価されているからなんだ。二輪の連中はな、お前達よりも、もっと何もないところから、世界一を達成したんだ。そのことを忘れるんじゃない!」 2001年3月14日:本田宗一郎物語(第84回) につづく 参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他 Back Home Mail to : Wataru Shoji |