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2001年3月14日:本田宗一郎物語(第84回)

  本田宗一郎物語(第84回)

 「なんだ、この負けざまは!」
 帰国して社長室に呼び出され、顔をまっかにしながら怒る宗一郎の前で、中村は不条理だと思った。中村には、中村で、勝てない理由があったが、それを宗一郎に理解してもらうことなどできなかった。だから中村は、不条理だと思ったのだが、そう思う中村は不幸であった。
 天才の尺度は異次元であり、天才でない者からは推測することも、おぼろげながらイメージすることもできないのである。そのことを覚悟しないで、天才に近づくことは危険である。中村に限らず、たとえば三代目社長となる久米にしても、ひどい目にあっている。しかし、それを天才である宗一郎のせいにすることも、また、中村や久米のせいにすることも、決して正しくない。天才とその周りにいる者の間には必ず生ずるトラブルなのである。
 例えば、二次元の世界の者に球を理解することはできない。二次元の世界を横切る球は、二次元の世界の者には時間とともに変化する円でしかない。高さという概念のない者に、変化する円から球をイメージすることはできない。三次元の者から、どうして球が理解できないのか、と怒鳴られても、二次元の者には、不条理なことを言われているとしか思えないのである。これが天才とその周りにいる者の間に生ずるトラブルの正体である。
 さらに具体的な例をあげてみよう。宗一郎に、言い訳として、「時間がありませんでした」と言ったとしよう。宗一郎は、「昨日寝ただろう。寝る時間はあっただろう。トイレにも行っただろう。その時間はあっただろう」、と言う。それは一般人にとっては常軌を逸した追い詰め方であることは確かだが、宗一郎にとっては何日も寝ずに食事も取らずに仕事をすることも、あるいはトイレの中で仕事をすることも当たり前なのである。宗一郎と一緒にされてはたまらない、皆そう思うのである。
 天才と着き合う唯一の方法は、天才には、自分には見えないものが見えている、それを信じて付いていこう、と覚悟することである。が、中村はまだ若かった。
「次のシーズンは、車を徹底的に熟成して臨みます。きっと勝てるはずです」
 中村のことばは、宗一郎をさらに刺激しただけだった。
「ばかやろう! そんなのんきなことを言ってるから勝てないんだ。それがわからないのか!?」
宗一郎を説得する方法はひとつしかない。勝つことだ。中村は会話を打ち切り、逃げ出すように社長室を、そして研究所をあとにした。

 中村にも、内心忸怩たるものがあった。いまだに入賞もできない真の原因が、九か月前の、コーリン・チャップマンからの一方的な提携契約の破棄にある、と中村は思っていた。あのときロータスと手を組んでさえいたら……。あるいは渡欧した際の流れのまま、ブラバム・ホンダ・チームが実現していたら……。そう思うと、悔やんでも悔やみきれなかった。後悔は、ロータスへの恨みとして、そして心の傷として中村の内深くに残った。
 執念深い傷であった。
 これより二十三年後、ホンダはロータスとチーム契約を結ぶ。アイルトン・セナと中嶋悟がドライブした、あのロータス・ホンダがそれである。そのとき、最後まで難色を示したのが他ならぬ中村であったという。その四年前にコーリン・チャップマンが死去していなければ、ロータスとの提携は実らずにいたはずであった。中村にとっては、それほど屈辱的で、どうにも忘れえぬ事件だったのである。

 ともあれ、ホンダがF1初参戦を飾った1964年のシーズンは終わった。そして、いつもの年のオフと同じように、ジャック・ブラバムが、郷里のオーストラリアに帰る前に本田技術研究所に顔を見せた。いつもと違っていたのは、ぶらりと立ち寄ったという風情ではなく、一人のアメリカ人を同行していたことである。生真面目な顔をした男は、グッドイヤー・タイヤのレース部長であった。男は、中村に紹介されると、表情に似つかわしい折り目正しい口調で切り出した。
「グッドイヤーでは、来年からグランプリ・タイヤの供給に乗り出すことになりました。現在のダンロップから、私どもの製品に切り換えていただけないかと思いまして」
 聞けば、ブラバム・チームもグッドイヤーを使うという。横から、ジャック・ブラバムが口を添えた。
「供給するのは、うちとホンダの二チームだけだ。集中的なサポートを得られると思うよ」
 中村は、ホンダのためのタイヤ・テストを間違いなく実行するという条件に大きな魅力を覚えた。ダンロップは、新参のホンダに対してタイヤ・テストを拒否していたのである。グランプリ・タイヤの経験のないグッドイヤー製品は、確かに未知数であった。だが、専用のタイヤ・テストがおこなわれることは、それを上回る成果に結びつくと確信できた。中村はグッドイヤーと、次期シーズンのタイヤ供給の契約をその場で結んだ。

 このとき、ジャック・ブラバムは、もうひとつのものをホンダにもたらすことになる。それはあまりに劇的な、出来すぎたほどの偶然であった。ふらりと設計室に入ったブラバムは、そこにあった設計図を何気なく手に取って眺めた。市販車用に開発が進められていた1000ccエンジンの図面である。設計図に次第に熱っぽく見入ったブラバムは、突然こう言い出したのである。
「このエンジンを僕にもらえないかな。こいつはF2に使えるよ」


2001年3月15日:本田宗一郎物語(第85回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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