Ws Home Page (今日の連載小説) 2001年3月16日:本田宗一郎物語(第86回) 本田宗一郎物語(第86回) 「F1はもういいだろう。監督をやめて、来年からは市販車の面倒を見てくれ」 研究所の所長の口から出たことばに、中村は呆然とした。なぜだ? なぜだ? なぜだ? その思いだけが頭のなかをぐるぐると回っていた。 「わかってくれよ。誰も彼もにレースをさせるわけにはいかないんだ」 わからなかった。俺以上にF1を理解している人間がこの研究所のどこにいるんだ、そう叫びたかった。だが、会社が下した決定に逆らうすべはなかった。中村はレース屋である前に、ホンダの社員なのだ。 「それは社長の意見ですか」 低い声で中村が訊くと、所長は顔をしかめた。 「その質問は、社長に失礼というものだよ。君だって知っているだろう、社長は裏から手を回すような人じゃない」 中村は唇を噛んだ。 「耳が痛いからもしれないが、きみはワンマンになりすぎたんだ。今の体制ではレースに勝てない、それが研究所の判断ということだ」 ワンマン・チームになるのは自然の成り行きなんだ、他にF1で勝てる方法があるなら教えてくれ。そう思った。だが、 「わかりました」 短く言い残して頭を下げると、中村は所長室から出た。風のなかに裸で立っているような寂寞感が体の内側を吹き抜けた。それまで色のついていた風景が、いきなりモノクロになって目の前に広がっていた。 「さらばF1か」 中村はつぶやいた。だが、この数か月で自分がレースから離れることのできな人間になってしまっていることに、中村は薄々気づいていた。現場に顔を出すわけにはいかなかったが、F1との縁を切るつもりもなかった。だが― 「さしあたって、明日っから何をすればいいのかな」 世界の各サーキットで重ねた心労が、あれほど苦しかった日々が、今では甘美な匂いをともなって胸にわき上がってきた。その甘さは、オイルの焼ける匂いにそのままつながっていた。中村は足を速めて歩いた。研究所の外には、冬の風が吹きはじめていた。 中村を監督から外す。研究所の所長の決断には、営業関係からのプレッシャーも関与していた。一円の利益も上げないレースにばかり夢中にならず、売れる車を作ることを考えてくれ。そうした声は、宗一郎の活動を黙視する藤沢をすりぬけて、以前から聞こえてきていた。それがF2への参戦決定で、さらに大きくなっていたのである。 藤沢からは、将来的な人材の育成を考えろという指令が飛んでもいた。それには中村のキャリアが欠かせないと所長は見ていた。当の藤沢は、この年、専務から副社長へと肩書きを変えている。専務の椅子をあけて、誰かを引き上げようとする決意のあらわれであった。それは、藤沢が後継者選びを意識しはじめたことを意味してもいた。 中村の後任としてF1チームの監督についたのは、チーフ・メカニックの関口久一であった。中村と同じ中島飛行機出身で、プロペラの近くに立ち、轟音の中でエンジンの音を聞き分けたという伝説を持つエンジニアである。F1が交渉事の連続であることを骨身にしみて思い知らされた中村は、その人事に少なからぬ疑問を抱いた。だが、口をはさむことは一切せず、12月に鈴鹿サーキットでおこなわれたグッドイヤーの初テストにも顔を出さなかった。行けば、黙っていられないことがわかっていた。 一方、久米を監督とするF2チームは、1000ccのレース用エンジンの開発に取りかかっていた。それは、自動車用のエンジンのノウハウを吸収するチャンスでもあった。 F2用エンジンの設計に当たっては、最初から制約があった。まずは、F2のレギュレーションである。エンジンは、排気量だけでなく、気筒数にも制限があった。4気筒以内でなければならない。それは、ホンダが得意とするマルチ・シリンダーエンジンが使えないことを意味していた。 二つ目に、ジャック・ブラバムからの要望である。それは、コスワースエンジンとの互換性を持つことであった。ジャック・ブラバムは、コスワースエンジンとホンダエンジンを比較するのに、同じシャーシ、同じギアボックスを使うことを条件にしていたのである。 以上のような制約は、若い二人のエンジニア、久米、川本にとっては好都合であった。宗一郎が主張するマルチ・シリンダーエンジン、横置きエンジン、ギアボックス一体型エンジンから離れて、オーソドックスなエンジンの開発に着手することができたからである。それが、宗一郎にとって、久米にとって、川本にとって幸せなことであったかどうかは、後に触れることになる。しかし、久米と川本はそのことを喜んでいた。 「問題は馬力ですね。吸気効率を上げてやるしかないな」 「まずはコスワースの115馬力を超えることからだな」 エンジンのパワーを上げる。スピードを出す。レースに対する宗一郎の哲学は、若い彼らの身にも深くしみこんでいた。この伝統は、今のホンダにも引き継がれている。2001年HRDテクニカル・ダイレクター西澤一俊は、つい最近、次のように述べている。 「ことエンジンだけで言えば、結局はパワーアップに行きつきます。もちろんドライバーが運転しやすいように、どんな回転域からでもまんべんなくパワーが出るようなセッティングは、これはもう大前提です。それがあって、さらに何を目指すかといえば、これはもうパワーしかありません。パワーは七難隠すんです」 他社のエンジンの多くは2バルブで、4バルブの技術を持つホンダはすでに有利な立場にあるといえた。だが、それだけで安心はできない。2か月余りの開発期間の多くを、久米と川本は吸気効率の向上に費やした。バルブ開閉のタイミングを調整することで、エンジンに100%以上の空気を送り込もうとしたのである。容易な作業ではなかった。実現するには、燃焼室の形状から見直さねばならなかった。しかし、初めてのベンチ・テストで、彼らの苦労は拍子抜けするほどあっけなく報われた。息をのんで見守る開発スタッフの目の前で、テスト・メーターはあっさりと115馬力を超え、さらに回転を上げると、ついには130馬力に達したのである。 F2チームを、どっという歓声がつつんだ。 「これで勝てますね」 「ああ。F1がおかしいんだ。馬力があるのに勝てないはずがないよ」 「ですよね。バイクでもそうやって勝ってきたんだ」 彼等も若かったのである。 2001年3月17日:本田宗一郎物語(第87回) につづく 参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他 Back Home Mail to : Wataru Shoji |