Ws Home Page (今日の連載小説)


2001年3月21日:本田宗一郎物語(第91回)

 残りの三戦にかけるための大改造だったが結局十分なテストや調整ができないままで、イタリア・グランプリを迎えることになった。
 誰が監督をするのかという問題も残った。翌年1966年には、N360の発売を控えていた。N360はまたたく間にベストセラー車になり、日本のモータリゼーションの幕開けを担った名車となったことは、読者の方々もご存知のことと思う。当時ナンバー・スリーであり、ホンダの要であった河島がこの次期、日本を離れるわけにはいかなかったのである。監督を中村に依頼したが、本人はきっぱりと断ったのだった。結局、監督は所長自身がつとめることになった。

 3レース休まされていたバックナムは、ギンサーのタイムを上回り、予選3位のグラハム・ヒルから遅れることわずかに0.2秒で、予選6位につけた。ギンサーは調子があがらず、バックナムより2秒以上遅いタイムで、予選17位だった。
 1965年9月12日の本番のレースでは、ギンサーが序盤で9位をキープし続けたいたものの、徐々にパワー低下に見舞われ27ラップ目にエンジンを壊しリタイアとなった。一方ギンサーは徐々に順位を上げ、7位まで来たときもののクラッチの不調の後、エンジントラブルでリタイアとなった。76周のレースの57周目であった。
 次のレースは、10月3日のアメリカ・グランプリである。
 この短い期間にUS仕様への改良が行われた。
 アメリカのワトキンスグレンは高速サーキットだった。それに合わせて、ホイルベースの延長が図られた。それはエンジンの位置の後退を意味していて決してやさしいものではない。それにともなって、ギアチェンジのための機構が新しく設計された。またリアの足回りも設計変更を受けた。
 またしても十分なテスト走行もできないままの搬送であった。

「アメリカに行くぞ。次のグランプリはこの目で見届けてやる」
 周囲は仰天した。宗一郎がレースの観戦を極端に嫌うことはよく知られており、事実、自分の車が出走するレースを見たことはそれまでに一度たりともなかった。宗一郎にとって、自分が手がけた車はわが子と同じであった。傷ついたり、事故に巻き込まれたり、走れなくなったりするところを想像しただけで、胸が張り裂けそうになるのである。そんな思いを必死で押し殺しての、ぎりぎりの決意であった。

 知らせを受けたF1チームは、ふたたび緊張した。
 いよいよ社長自らが乗り込んでくる。まずいレースはできないぞ。
 「おやじさんの笑顔がみたいな」
という気持ちが士気の向上となった。F1に不慣れな監督のもと、チームは懸命になってマシンの整備に力を注いだ。パーツはすみずみまで点検され、トー・インやキャンバー調整など、足まわりは細かいところからすべて見直しが図られた。正確にいえば、改良したい点はまだあったが時間がなかった。限られた時間の中でできるだけのことはした。

 ニューヨーク州、ワトキンスグレン。お忍びの旅行のはずだったが、メイン・スタンドに姿を見せた宗一郎は、欧米のジャーナリストたちにもみくちゃにされた。二輪の分野で数限りない栄冠を手にし、四輪ではいきなりF1に挑むHONDAの名を知らない者は、レース関係者には一人もいなかった。
 ホンダがF1に参戦するという情報は、ヨーロッパでは大きな波紋をよび、コンヴェントリー・クライマックス社は、ホンダに対抗するために、ショート・ストローク版、4バルブ版の開発を急ぎ、水平対抗の16気筒エンジンまでテストしたと言われ、フェラーリも12気筒エンジンの開発を急いだと言われているのである。
 また、先のイギリス・グランプリで、ギンサーがフェラーリのサーティーズの競り合ったシーンに対し、イギリスの雑誌は、「いよいよ日本の挑戦車(挑戦者)が牙をむき、ライバルに食いついて見せた」と評しているのである。そのホンダの社長から一言コメントを取りたいと思うのはジャーナリストなら当たり前のことであった。
「どうして、レース場にはお見えにならないのですかミスター・ホンダ」
「いや、別にレースが嫌いなわけじゃない。ただ、知っての通り、僕ら日本人はそれ以上に仕事が大好きなもんでね」
 持ち前のサービス精神を全開にし、笑顔でジョークを飛ばしながら、宗一郎は記者たちに愛想よく応対した。その表情から、疲労感はかけらも感じられなかった。
 だが、疲労感と実際の疲労は違う。長旅の疲れと、時差ボケも押し寄せていた。レースが始まる前に、宗一郎はすでにくたくたになっていた。
 アメリカ・グランプリは、もうろうとした宗一郎の目の前で始まった。


2001年3月22日:本田宗一郎物語(第92回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、「HONDA F1 1964−1968」ニ玄社、その他


Back
Home



Mail to : Wataru Shoji