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2001年3月26日:本田宗一郎物語(第96回)

 中村の電報に対して、宗一郎が激怒したという記録は見当たらないが、喜んだという記録も見当たらない。筆者は、おそらく宗一郎は激怒したと思っている。
 「社長、副社長、河島さん、喜んでください、優勝しました」
と言えなかったのか。
 F1参戦を会社の方針としたのは、宗一郎であり、それを資金的にバックアップしたのは藤沢である。若い技術者と創業者の間を取り持ったのは、河島である。どんなことがあっても、初の優勝の報告は、この三人に対する感謝の気持ちから入らなければならないだろう。
 中村の電報を伝説として取り上げる文献は多いが、中村の電報が、これからのF1の行き先を象徴していると記述したものはない。

 1968年まで、ホンダの第1期F1参戦は続く。しかし、1966年以降は悲劇の連続だった。
 久米や川本は、宗一郎が口を出すことを嫌った。
 中村はひたすら優勝することにまい進し、宗一郎さえいなければチャンピョンを獲れたとまで言う。
 宗一郎は、エンジンは空冷でなければいけない、と主張し、若いエンジニアとの間の亀裂を大きくしていく。

 ホンダという会社が、クリンジリーの指摘する、第三波へと脱皮する時期だったのである。誰もが安定を求め、冒険を嫌った。久米や川本は優勝できるエンジンが作りたかった。優勝するための最短距離を求めた。中村は優勝するためのチームを作りたかった。そのためには、宗一郎に無断で、実績のある部品を使った。

 以上で、F1の話は、一旦終えることにしようと思う。

 これより前の昭和39年、ホンダは埼玉県狭山市に一万平方メートルの工場を建設し、低質な販売代理店の全国的な刈り込みを断行している。さらに、それまでは年間二万キロが最高だった四輪車の保証を二年で五万キロという長期保証に切り換え、新車、中古車に関わらず全国どこでもホンダ車の修理を引き受けるSF(サービス・ファクトリー)構想を打ち出すなど、矢継ぎ早ともいえる販売・サービス体制の改革に乗り出していた。
 藤沢が戦略を練り上げ、展開を案出して宗一郎に持ち込むと、
「そりゃいい。すぐやれ」
 と話はすぐに決まる。そんな調子で案件は次々に実を結び、外堀をすばやく固めるように販売・サービス網は整えられていった。
 それらすべてが、次に生まれようとしている新車に対する周到な準備であった。活発なレース活動の合間に、気分転換でも図るかのごとく、宗一郎自らが小型車の図面を引きはじめていることを藤沢は知っていた。そして、革新的なアイディアと技術の上に立つその車が、爆発的に売れることを藤沢は確信していたのである。
 折しも、鍋底景気と呼ばれる不況に沈んでいた昭和40年の日本にあって、思いきった設備投資を敢行したのはホンダのみであった。内容は、大型プレスや鋳造機など生産用の機械である。他社が、発注した設備をキャンセルしているような状況を逆手にとるところに、宗一郎に対する藤沢の絶対的な信頼と自信の大きさが見てとれる。
「しかし副社長、こんな不景気でモノが売れないんですよ。一体何をつくるんですか?」
「それは社長の方の領分だ。何をつくるかは研究所に考えてもらえばいいよ」
 役員会議の席である。なおも渋る重役たちの目の前で、藤沢は電話を取り上げ、宗一郎の番号を回したという。
「今は安く買えるチャンスだから、機械を買うからね」
「いいね、何を買おうか」
 受話器の向こう側で、宗一郎が顔を輝かせる気配があった。
「四輪を本格的にやるんなら、設備がもっと必要だろう。金は何とでもするから、社長の好きなものを買ってくれていいよ」
 宗一郎は急き込むような早口になって応えた。
「これまでのスピードプレスじゃ絶対に間に合わないんだ。生産が三倍になるように、回転数を上げさせて注文するよ」
「わかった。とにかく社長にまかせるよ」
 藤沢はにやりと笑い、受話器を置いた。重役たちの眼前での事後承諾である。宗一郎が自分から機械をほしがることは一度もなかったが、許諾があればたちまち気が大きくなることを藤沢はよく知っていた。事実、狭山工場への機械導入は大増設となった。

 天秤秤の片方の皿にレースがあり、もう片方に市販車が乗っている。大きくレースの方に傾いていた秤が、昭和41(1966)年になると、わずかずつではあったが、均衡を保つ方向に持ち上がろうとしていた。研究所がレースに注ぐ力を軽減しはじめたわけではもちろんなく、むしろ昭和41年は、ホンダのレース活動がひとつの頂点を迎えた年として記憶と歴史に刻まれることになる。焦点は、本田宗一郎が新たに取り憑かれた、四輪用の空冷エンジンという蠱惑的な怪物であった。


2001年3月27日:本田宗一郎物語(第97回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他


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