Ws Home Page (今日の連載小説)


2001年4月10日:本田宗一郎物語(第111回)

 宗一郎は、空冷F1をもう一度レースに出すように、と川本に言った。それも、イタリアのモンツァの高速サーキットで、と。
 しかし、久米が投げ出して川本が空冷の面倒もみることになってから、1ヶ月しかなかった。
 イギリスからは、中村が水冷エンジンについて改良の注文をしてくるなか、空冷に対しては何もできなかった。とりあえず、もう一台を作り、前回は間に合わせだったオイルクーラーをきちんとつけること。クランクケースに空気を通すことを諦めることだけは行った。エンジンの材質もマグネシウムからアルミニウムに変更になった。

 空冷F1の2号機ができたのは、1968年8月の中旬だった。
 サーティーズが鈴鹿でテストを行ったが、あまりいい結果は得られなかった。しかし研究所のスタッフや川本自身にも根本的に改良をしようという意気込みはなかった。
 そんな状況のまま、RA302は、イギリスを経由してイタリアに運ばれることになり、川本は宗一郎から責任をもってレースに出場させるように、と念を押された。
 8月の下旬、川本はRA302とともにイギリスへ渡った。
 中村は終始不機嫌だった。
 いよいよイタリアに出発するときになって、中村は川本に言った。
「おれたちは飛行機で行く。空冷F1はお前が持ってきたんだから、お前が最後まで責任を持って自分で運べ」
 中村は、サーティーズのトランスポーターにRA302を載せるのを拒んだのだ。
 途方にくれる川本であったが、おやじさんに怒鳴られるのは願い下げだった。
 フォードのバンと幌なしのトレーラーを借りて運ぶことになった。
 イギリス人のメカニックと二人で運転をし、ドーバーを越え、アルプスを越える旅をした。

 モンツァ・サーキットで行われるイタリア・グランプリ。
 サーティーズは、RA301を操って、あっけなく去年のコースレコードを2秒も短縮するタイムを出してしまった。ポールポジションは間違いないタイムだった。
 この時点で、サーティーズが本戦で空冷マシンRA302に乗ることはありえなかったが、川本は、サーティーズにRA302で走ってみて欲しいと頼んだ。
 中村は激怒した。
 「お前ら、また邪魔する気か」
 しかし、サーティーズは協力してくれた。
 「軽く流すだけだぞ」
 サーティーズはウィンクをしてピットを出て行った。
 RA302のタイムは、RA301の6秒落ちだった。
 これがRA302が公式のレース開場で走る最後となった。

 サーティーズが予想した通りRA301で出したタイムは破られなかった。
 いくつかのチームは、RA301が出した記録を破ろうと無理をしてエンジンを壊した。
 RA301のポールポジションは、ホンダF1初のポールポジションを意味していた。1964年に参戦して5年目のことであった。
 初のポールポジションにホンダ・スタッフの全員が興奮した。そして誰もRA302のことを気にかけなかった。

 1968年9月8日、イタリア・グランプリの決勝が行われた。
 サーティーズは、最初から飛ばすタイプではない。
 予選2位のマクラーレンがスタートから飛び出した。
 ヒル、サーティーズ、エイモンと続いた。
 6周目、サーティーズはマクラーレンに食い下がって、3位以下を引き離しにかかった。
 9周目、マクラーレンがストレートからカーブに入るところで、突然スピンをした。
 もはやブレーキでは止められないと判断したサーティーズは、マクラーレンとの激突を避けるため、自らマシンを外側のガードレールにぶつけて止め、そこでリタイアとなった。
 サーティーズが最初から飛ばしてくれていれば勝てたのに、と中村は不機嫌だった。

 空冷F1がモンツァでレースに出なかったと聞かされたとき、宗一郎は、さびしく呟いた。
「F1参戦は今期限りだな」
 もちろん営業サイドから、会社は今レースどころではない、と聞かされていたが、藤沢から直接言われたわけではない。藤沢が辞めて欲しいと言って来ない間は、レースを続けても大丈夫だ、と宗一郎は思っていた。
 しかし、宗一郎にとって、空冷で挑戦しないF1は意味を持っていなかった。
 中村をはじめとするF1のスタッフは勝ちたかった。それを優先する意識が、かえってF1参戦を中止に追い込むことになることに最後まで気が付かなかった。

 1968年、水冷RA301マシンは、ホンダにコンストラクターで6位を、サーティーズには7位をもたらした。
 入賞4回、得点は14点だった。
 中村が最強のマシンと豪語したRA301の完走率は1968年全F1の44%を下回る31%であった。
 また、1964年から1968年を通してのホンダの完走率41%をも下回っていた。


2001年4月11日:本田宗一郎物語(第112回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、「HONDA F1 1964−1968」ニ玄社、「F1地上の夢」朝日文庫

Back
Home



Mail to : Wataru Shoji