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2001年1月24日:本田宗一郎物語(第35回)

  本田宗一郎物語(第35回)

「よう、弁ちゃん。大将は?」
 宗一郎の友人がふらりと工場を訪ねてきたのは、秋も深まった一日のことである。空は高く澄み、朝晩には風に冷たさが感じられる時節になっていた。
「大将、実は、これなんだが」
 友人は、背中にしょった小さい風呂敷包みを作業台の上におろした。重そうな、ごとりという音がした。風呂敷のなかから現れたのは、小型のエンジンだった。
「ほう、エンジンか……」
「陸軍が通信機用に使っていたんだが、今じゃ使い道がない。こいつが大量に、倉庫で埃をかぶってる有様だ。何かに用立てできないかと思ってね」
 エンジンに手を当て、じっと考え込んでいた宗一郎は突然、友人に向かって叫ぶように言っていた。
「こいつを買い占めてくれ!集められるだけ集めるんだ」
「大丈夫かよ大将。なにか使い道があるのかい?」
「いいから頼む、今すぐだ! 弁二郎、誰か! 弁二郎を呼んで来てくれ」

「なんですか、兄さん」
「おい、これを見ろ」
「エンジンじゃないですか、どこで手にいれたんですか?」
「そんなことは、どうでもいいんだ。おれが、これを何に使おうと思っているかだ」
「無理ですよ、兄さん。誰だって兄さんの考えることなんか、わかりませんよ。いつも突飛なんですから」
「いいかよく聞け」
 宗一郎は、弁二郎にアイディアを伝えた。
「でも兄さん、今はガソリンが不足してるじゃないですか。確かに便利だろうけど、実際に売れるのかな……」
「馬鹿いえ。薬屋で売っているベンジンだって松根油だってエンジンを回せるってんだ。いいか、バスや汽車はすし詰めで、屋根の上にまで人を乗せる有様だ。誰もが移動するのに苦労しているのに、GHQに車の製造禁止されているときている。トラックはOKだが、庶民が買えるものじゃない。それでもみんな買い出しで重い荷物を背負って歩かなきゃならないんだ。いいか、みんなが必要としているんだ。俺たちが、やらなくて誰がやるんだ」
「でも、エンジン以外の材料はどうやって手に入れるんですか」
「いいか、問題点をあげつらうのは後だ、こがなくてもいい自転車が、日本中を走り回って、活気づいている様子を想像するんだ」
「わかりました。兄さん!」
 上気する弟の顔に向かって、宗一郎はこう付け加えることを忘れなかった。
「いいか、さちには内緒だぞ」

 宗一郎に、大した負担はかからなかった。使い道のない通信用小型エンジンはスクラップ同様の値段で手に入ったし、動力を車輪に伝える方法もたちどころに解決した。最後に残ったのは、燃料を入れるタンクをどうするかだった。
「材料も、工作機械もないからな、なにか代用品を探すしかないな」
「ガソリンが漏れさえしなければいいんですよね」
「簡単に言うな。とにかく、何か見つけるしかないんだ」
 宗一郎と弁二郎を悩ませたその問題は、意外な形で一気に解決する。
 ある朝、宗一郎が顔を洗っていると、さちが声をかけた。
「あなた、このお湯、使ってください」
「湯たんぽか、お前冷え性だったかな?」
「いいえ、私じゃないんですよ、博俊が風邪ぎみで・・・・・、あなた、どうしたんですか」
「これもらうぜ」
「あなた・・・」
 ぽかんとするさちを残し、宗一郎は湯タンポからこぼれる湯でズボンを濡らしていることも気にせず、工場へ走っていった。


2001年1月25日:本田宗一郎物語(第36回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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